しかし、しっぱいした
人生に失敗はつきもの。
この間、定期入れを洗濯機で洗ってしまい、回数券が改札を通らなくなって有人改札をくぐるはめになってしまった。
この国には失敗を隠しおおそうというきらいがある。
流石に事故の起きたしんかんせんを埋めちゃうほどではないけれど、小さな失敗を隠して貯めるという大きな失敗をよくやっていると思う。
そしてそれを妥協だと抜かす。
…やっぱり自分も自分の人生隠そうかな…
優性思想?
そもそも、優性思想は日本人の心の中に何がしかの形で住み着いているものである。
「働かざるもの食うべからず」、や「働いて初めて一人前」といった言葉を聞いたことは無いだろうか。
怠けることを戒めたこのような言葉はもちろん正しいものであると言える。
しかし、裏を返せば「働く能力が無いなら餓死しろ」とか、「働かないのは劣等人種だからだ」といった優性思想の謹言になる。
ある1人の殺人犯を優性思想に染まった悪魔と見なすよりも、我々の内側に住む優性思想の悪魔を知り、その功罪を洗い直すことが肝要である。
我々が造っているこの社会である。
社会で起きた事件の原因はこの社会にしかない。
怠惰を糾す姿勢も、福祉の源泉である基本的人権の尊重も我々に繁栄をもたらす先祖からのプレゼントである。
優性思想
優性思想とは優れた遺伝子を残すために障碍者などの劣ると見なされる人々を淘汰することを肯定した思想である。
淘汰される対象は障碍者の他に特定の民族も含まれていて、ナチスドイツがこれを実践したことで有名だ。
当然現代では否定されていて、このような思想を持つ人は極めて少ない。
しかしながら、先日障碍者入所施設で大量殺人事件が起こった。
犯人の言い分として「障碍者なんてこの世からいなくなればいい」とのことである。
まあ、確かに障害なんてこの世からなくなればよいだろう。
しかし障碍者がこの世からいなくなることを要求するのならばそれは優性思想である。
さて、この犯人は大麻を使っていたことがわかっている。
しかし、薬物中毒は見方によっては精神障害ではないか。
そうであれば犯人は自ら破滅願望を実行に移したと考えられる。
優性思想を持っているならば自らを殺人犯として社会的に抹殺することを望んでも不思議はない。
自分は彼に対し是非の判断を下そうとか、裁きを求めるような意図はない。
ただ思うのは鬱病は優性思想を含む場合があるということを主張したいのだ。
鬱病は度々自身に対し否定の感情を抱く。
「自分はダメなやつだから死んだほうがいい」とか「何もできない自分なんて消えてしまえ」とか言ったものである。
これは見方を変えれば優性思想を包含していないだろうか。
自分のような精神障碍者は淘汰されるべきと考えてはいないだろうか。
私自身、鬱病の己に優性思想が潜んでいることを否定することはできない。
チラ裏
雨ニモカテズ
風ニモカテズ
雪ニモ夏ノ暑サニモカテヌ
虚弱ナカラダヲモチ
慾ヲ持チ
タマニハ瞋リ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ白米何合カト
肉ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病氣ノコドモアレバ
自分ハ無力ダト嘆キ
西ニツカレタ母アレバ
己ノ方ガ不幸ダト言ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
自分ノ方ガ死ニソウダトホザキ
北ニケンクワヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトヒトリゴチ
ヒデリノトキハクーラーニタヨリ
サムサノナツハ炬燵ニ篭リ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニノミサレ
サウイフモノデモ
ワタシハ生キテイッテモイイデショウカ?